2000年のお知らせ&更新情報

(2000.12.27)またまた、更新が遅れましたが、トロツキーのレーニン論を2つアップします。「レーニンにおける民族的なもの」(1920年4月23日)と「レーニンの思い出から」 (1924年4月23日)です。これらはいずれも、『トロツキー研究』第32・33合併号に掲載されたものです。これで今年の更新は終わりでしょう。今年 は90本の論文・著作をアップすることができました。来年もよろしくお願いします。少しづつ、トロツキーの文献をアップしていきますので…。リクエストも 引き続き待ってます。

(2000.11.1)ずいぶん長く更新を怠ってきましたが、『トロツキー研究』の第32・33合併号の準備で忙しかったからです。さて、ようやく一段落しましたので、トロツキー没後60周年記念企画の第2弾として、『戦争とインターナショナル』のすべての章をアップします。これまでは一部の章しかアップされていませんでしたが、今回すべての章をアップしました。最近、「急迫不正の侵略の際には自衛隊を活用する」などという物騒な議論がある革新政党から出されていますが、この『戦争とインターナショナル』の第5章を読めば、そのような議論が実は当時のドイツ社会民主党の主張と同じものであることがわかります。

(2000.9.18)おまたせしました! トロツキー没後60周年記念企画の第1弾である『総括と展望』(1906年)をアップすることができました。ロシア語原文からの新規の翻訳です。1919年ロシア語版の序文もロシア語から訳してあります。ぜひ、トロツキーのこの古典的著作を改めてお読みください。

(2000.9.12)ようやくアクセスが1000を突破しました。5月の開設以来、何と半年近くかかっての 1000突破です。やれやれ。とはいうものの、あまりアクセス数は気にせず、こつこつとトロツキーの論文・著作をアップしていこうと思っています。ところ で、『総括と展望』の翻訳はいちおう完成しました。あとは最終チェックと、HTML文書に転換することだけです。来週の初めにはアップできるでしょう。

(2000.9.7)『総括と展望』の翻訳はかなり進行しました。9月半ばにはアップできるでしょう。また、「ソヴィエト・ロシアの新経済政策と世界革命の展望(コミンテルン第4回大会報告)」を部分修正しました。

(2000.8.25)『総括と展望』の翻訳がなかなか進んでいませんので、その間の空白を埋めるために、『トロツキー研究』訳出の諸論文を、随時アップします。まずは、スターリンの極左路線を全面的に批判した重要論文、「コミンテルンの誤謬の『第三期』」(1930年1月8日)です。これは、『トロツキー研究』第29号に掲載されたものです。

(2000.8.21)本日はトロツキー没後60周年です。この日に間に合わせるように、何かトロツキーの文 献をアップする予定でしたが、忙しくてできませんでした。でも、できれば、多少遅くなっても何か重要な文献をアップしたいと考えています。いちおう、今の ところ『総括と展望』および『永続革命論』を考えています。来月中に、どちらかをアップできればな、と思っています。

(2000.8.10)攻勢を強めよう!」(1932年8月6日)をアップしました。党派間の意見の相違を暴力によって解決しようとするスターリニストの方法を厳しく批判した小論文です。

(2000.7.28)民族問題と青年党員の教育」(1923年3月20日)をアップしました。『トロツキー資料集』第1号に訳出していたものです。

(2000.7.27)パルヴス――生ける友への弔文」(1915年2月14日)をアップしました。『トロツキー研究』第13号に訳出していたものです。

(2000.7.15) 「資本主義の死の苦悶と第4インターナショナルの任務――過渡的綱領」に 細かい修正を加えて、よりよい翻訳にしました。すでにアップした諸論文を繰り返しチェックして修正できるのは、まさにインターネットの最良の利点の一つで しょう。これが出版物なら、2刷りが出るまで修正できないし、たいていトロツキーのものは初刷りで終わるので、このインターネット形式の翻訳は、非常に有 意義です。しかし、読んでくれる人は恐ろしく少ないですけど。

(2000.7.9)ソヴィエト国家の階級的性格」にケアレスミスが多く発見されたので、改めて全体を見なおし、間違いを修正しておきました。したがって、この論文を改めて開く際は、そのページを最新情報に更新しておいてください。

(2000.7.8)第1次世界大戦の初期に書かれたトロツキーの綱領的論文「われわれの政治的スローガン」 (1915年2月23、24日)をアップしました。本邦初訳です。この論文は、「平和のスローガン」を打ち出しつつも、単なる「戦争以前の状況」に戻るこ とをめざす抽象的平和主義(メンシェヴィキの立場)を拒否し、平和のスローガンを社会主義ヨーロッパ合衆国という革命的スローガンと結合することを主張し ています。この立場は後に、「平和綱領」としてより詳しく展開されます。

(2000.7.1)ソヴィエト国家は労働者国家か、国家資本主義か、新しい官僚的所有か、という、その後も何十年にもわたって繰り広げられる大論争において、トロツキーが体系的な見解を示した重要論文「ソヴィエト国家の階級的性格」(1933年10月1日)をアップします。

(2000.6.28)トロツキーの最も重要な演説の一つである「ソヴィエト・ロシアの新経済政策と世界革命の展望(コミンテルン第4回大会報告)」(1922年11月14日)をアップしました。グラムシも深い感銘を受けたこの演説をぜひお読みください。

(2000.6.22)スターリンの冒険主義的経済路線を批判した論文「危険信号」 (1933年3月3日)をアップしました。非常に面白い論文ですので、ぜひ読んでください。次のアップの予定としては、当初は「ソヴィエト国家の階級的性 格」にするつもりでしたが、予定を変更して、「コミンテルン第4回大会報告」にします。これは、グラムシが参加して感銘を受けた演説として有名なもので す。

(2000.6.15) ついに、第4インターナショナルの最重要文書の一つである「資本主義の死の苦悶と第4インターナショナルの任務――過渡的綱領」(1938年5月)をアップしました! 必読文献ですよ! 英語版とロシア語オリジナルとの主要な違いについても訳注で指摘しておきましたので、参考にしてください。

(2000.6.11)今後のアップの予定ですが、来週に、第4インターナショナルの歴史的文書である「資本 主義の死の苦悶と第4インターナショナルの任務――過渡的綱領」(ロシア語オリジナル版からの初の翻訳)をアップし、次の週には、1933年の論文「危険 信号!」(第1次5ヵ年計画を批判したもの)をアップし、さ来週には、1934年の重要論文「ソヴィエト国家の階級的性格」をアップする予定です。ソ連追 放後の論文のアップが続いたので、その後は、革命前の論文をいくつかアップしようと思います。トロツキー没後60周年にあたる8月には、何か重要著作を アップしようと思っています。

(2000.6.7) さらに新たに7本の論文を一気にアップします。これらも基本的に、もうすぐ刊行予定の『トロツキー著作集 1932』(下)に収録予定のものです。

レーニン『共産主義の左翼小児病』ポーランド語版序文」(1932年10月6日)

コミンテルン執行委員会9月総会」(1932年10月13日)

コミンテルン第3回大会の教訓――レーニンの隠された演説」(1932年秋)

スターリンがまたしても自分に不利な証言」(1932年秋)

ドイツ・ボナパルティズム」(1932年10月30日)

アメリカ・マルクス主義の展望」(1932年11月4日)

ジャーナリストの質問に答えて」(1932年12月3日)

(2000.5.31)新たに7本の論文を一気にアップします。いずれも、もうすぐ刊行予定の『トロツキー著作集 1932』(下)に収録予定のものです。

スペインのコルニーロフ主義者とスペインのスターリニスト」(1932年9月20日)

中国における農民戦争とプロレタリアート」(1932年9月22日)

思弁ではなく行動のための戦略を」(1932年10月3日)

15年!」(1932年10月13日)

スターリニストは策を講じる」(1932年10月19日)

『危機に立つソヴィエト経済』外国語版序文(1932年10月22日)

ヴァンデルヴェルデへの公開状」(1932年12月5日)

 

(2000.5.17)ソ連邦の発展の諸問題」(1931年4月4日)を新たにアップしました。これは『トロツキー研究』第4号にすでに訳出されていたものですが、その時に割愛した部分をすべて翻訳しており、初の全訳になっています。

(2000.5.13)根本問題――権力のための闘争」(1915年10月17日)を新たにアップしました。これは、現代思潮社版の『1905年革命・結果と展望』の付録として訳されたことがあるものですが、今回は、『ナーシェ・スローヴォ』に掲載されたオリジナルを底本に翻訳しなおしてあります。

(2000.5.10)次は何か――総括と展望』(1917年8月)を新たにアップしました。これは、『トロツキー研究』第5号に掲載されたものですが、そのとき、第3章「革命における軍隊」をはじめ、多くの部分を割愛していましたが、今回、そのすべてを復活させ、完全版になっています。

(2000.5.9)リンクミスの修正やその他細かい微調整をしました。

(2000.5.8)ようやく、「トロツキー・ライブラリー」を開設することができました。すでに60本近い数の著作と論文・パンフレットがアップされています。まだ、1930年代前半までしか目次はできていませんが、とりあえず発足させて、今後少しづつ、建設していきたいと思います。

(2000.5.8)現時点でアップされているトロツキーの論文・著作は以下の通りです(年代順で配置)。以下のうち、今回のホームページでのアップが本邦初訳である論文(※マーク入り)は、「『コムニスト』編集部への公開状」(1915年6月4日)、「東方における展望と課題」(1924年4月21日)、『農村青年の任務と新しい日常生活』(1924年4月28日)、「ソヴィエと・ロシアと日本」(1924年6月18日)、の4本です。ただし、「東方における展望と課題」は、その不完全訳が『永久革命の時代――トロツキー・アンソロジー』に訳出されたことがあり、また、『農村青年の任務と新しい日常生活』は、そのダイジェスト版が『トロツキー研究』第19号に訳出されたことがあります。

 『戦争とインターナショナル』(1914年)(柘植書房刊より)

 『社会主義へか資本主義へか』(1925年)(大村書店刊より)

    シベリア代議員団の報告』(1903年) 「シオニズムの解体とその後継者の可能性」(1904年1月1日) 「国会と革命」(1907年6月) 「第3国会」(1908年4月) 「失業と飢饉に対する闘争」(1908年12月17日) 「テロとその党の破産」(1909年5月) 「民族闘争とプロレタリアートの統一」(1909年12月8日) 「わが国の状況とわれわれの課題」(1911年1月29日) 「テロリズム」(1911年11月) 「バルカン問題と社会民主主義」(1910年8月1日) 「バルカン戦争と社会民主主義」(1913年3月14、15日) 「議会主義と労働者階級」(1914年2月) 「『コムニスト』編集部への公開状(1915年6月4日) 「民族と経済」(1915年7月3、9日) 「ツィンメルワルト宣言」(1915年9月15日) 「平和綱領」(1916年1月29日~4月13日) 「革命の始まり」(1917年2月27日) 「2つの顔」(1917年3月4日) 「発展する衝突 」(1917年3月6日) 「戦争か平和か」(1917年3月7日) 「誰からどのように革命を防衛するのか」(1917年3月8日) 「ペトログラード・ソヴィエトにおける第一声」(1917年5月5日) 「第2回全露ソヴィエト大会における演説」(1917年10月25~26日) 「カール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルク」(1919年1月18日) 「東方問題に関する中央委員会への手紙」(1919年8月5日) 「食糧政策と土地政策の根本問題」(1920年2月) 「もっと平等を!」(1920年10月31日) 「軍事理論をめぐる討論での冒頭発言と結語」(1921年11月1日) 「上げ潮」(1921年12月21日) 「ローマ・テーゼについて」(1922年3月) 「第11回党大会軍代議員会議における報告と結語」(1922年4月1日) 『ロシア共産党第12回大会の課題』(1923年4月5日) 「資本主義の発展曲線」(1923年6月21日) 「新聞とその読者」(1923年6月29日) 「『ヨーロッパ合衆国』のスローガンを出すべき時」(1923年6月30日) 「いかなる観点からアプローチするべきか」(1923年8月8日) 「東方における展望と課題(1924年4月21日) 『農村青年の任務と新しい日常生活(1924年4月28日) 「ソヴィエと・ロシアと日本(1924年6月18日) 「労働者通信員とその文化的役割」(1924年8月14日) 「世界軍国主義の成長とわれわれの軍事的課題」(1924年10月25日) 「ヨーロッパ資本主義の安定化の問題によせて」(1925年5月25日) 「新しいページ――医療と文化建設活動家の課題」(1925年12月8日) 「ヨーロッパとアメリカ」(1926年2月15日) 「コミンテルン執行委員会第7回拡大総会における演説」(1926年12月9日) 「イタリア革命の諸問題」(1930年5月14日) 「インド革命――その課題と危険性」(1930年5月30日) 「社会主義の成功と冒険主義の危険性」(1930年11月) 「スペイン革命」(1931年1月24日) 「民主主義をめぐるプロメテオ決議に関する批判的論評」(1931年1月31日) 「危機に立つソヴィエト経済(第2次5ヵ年計画を前にして)」(1932年10月) 「ロシア革命の擁護(コペンハーゲン演説)」(1932年11月27日) 「南アフリカ・テーゼについて」(1935年4月20日) 「歴史と伝記はどのように書かれるか」(1935年9月) 「スペインの教訓」(1936年7月30日) 「テルミドールと反ユダヤ主義」(1937年2月21日) 「ボリビアにおける農業問題」(1937年4月24日) 「メキシコの第2次6ヵ年計画」(1939年3月14日) 「遺書」(1940年2月)

 

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